あ行



愛洲久忠

あいすひさただ
名字 愛洲 幼名
通称 異名
移香斎 流派 陰流
名前 久忠 生没年 1452〜1538
概略 陰流の開祖。一説には、志摩(三重県)の豪族の出であるという。
日向(宮崎県)の洞窟にこもり、クモの動きを見て開眼した。



赤松三首座

あかまつさんしゅざ
名字 幼名
通称 異名
流派 念流
名前 生没年
概略 念流の開祖である念阿弥慈音の弟とも舎弟ともいわれる。



浅利義信

あさりよしのぶ
名字 浅利 幼名
通称 異名
流派 中西派一刀流
名前 義信 生没年
概略



飯篠長威斎

いいざさちょういさい
名字 飯篠 幼名
通称 伊賀守 異名
長威斎 流派 神道流
名前 家直 生没年 1387?〜1488?
概略 下総(千葉県)の郷士で、神道流の開祖。
梅木山での3年間の荒修行を経て、武の妙致を悟り、神道流を開いたという。
「兵法は平法なり」と説いた。



伊藤一刀斎

いとういっとうさい
名字 前原→伊藤 幼名 弥五郎
通称 異名 鬼夜叉
一刀斎 流派 鐘捲流一刀流、判官流
名前 景久 生没年 1550?〜?
概略 一刀流の開祖。
出自についてははっきりしていないが、伊豆大島で生まれたとする説が有力。
鐘捲流の鐘捲自斎に弟子入りし、ほんの数年で師を破り、独立した。
真剣勝負を33回、斬った敵は57人、木刀で打ち伏せた相手は67人といわれる。
瓶割刀(かめわりとう)と呼ばれる備前一文字の名刀を愛刀とした。



伊東甲子太郎

いとうかしたろう
名字 伊東 幼名 祐之
通称 甲子太郎 異名
誠斎 流派 神道無念流
名前 武明 生没年
概略 新撰組隊士、のち御陵衛士。



伊藤忠也

いとうただなり
名字 小野→伊藤 幼名
通称 異名
流派 一刀流忠也派一刀流
名前 忠也 生没年
概略 忠也派一刀流の流祖。小野忠明の実弟とも実子ともいわれる。
忠明から一刀流宗家を受け継ぎ、伊藤一刀斎の家名・伊藤姓と一刀斎の愛刀「瓶割刀」を継承した。



井鳥巨雲

いとりきょうん
名字 氏家→井鳥 幼名
通称 五郎右衛門 異名
元風 流派 弘流、無住心剣流雲弘流
名前 為信 生没年 1650〜1721
概略 弘流と無住心剣流を学び、雲弘流を開いた。



岩間小熊

いわまこぐま
名字 岩間 幼名
通称 異名
流派 一羽流
名前 生没年 ?〜?
概略 師岡一羽の弟子。
一羽が重病に伏した際、3人の高弟(根岸兎角、岩間小熊、土子土呂助)のうち根岸が師を見捨て出奔したため、岩間は憤慨し、師の死後に根岸と決闘し破っている。
これを恨んだ兎角の門人たちは、岩間を浴室に招き入れ、熱湯で意識朦朧とさせて斬殺した。



大石進

おおいしすすむ
名字 大石 幼名
通称 異名
流派 大石神影流
名前 種次 生没年 1797〜1863
概略



奥村左近太

おくむらさこんた
名字 奥村 幼名
通称 左近太 異名
流派 直心影流奥村二刀流
名前 寅吉(とらよし) 生没年 1842〜1903
概略 岡山藩の儒者・奥村安心の子で、奥村二刀流の流祖。
22歳で直心影流の免許を得た。
田宮神剣流を見た後、二刀流を研究したという。



奥山休賀斎

おくやまきゅうがさい
名字 奥山 幼名
通称 孫次郎 異名
休賀斎、急加斎、音寿斎 流派 奥山神影流
名前 定国→公重 生没年 1526〜1602
概略 奥山神影流の開祖。
奥平貞久の四男で、上泉信綱の門に入り、奥義を究めたのち三河の奥山明神社に参籠し、秘伝の太刀を授かって奥山神影流を唱えたという。



小野忠明

おのただあき
名字 小野 幼名
通称 次郎右衛門 異名
流派 一刀流
名前 忠明 生没年 1560〜1628
概略



小野忠常

おのただつね
名字 小野 幼名
通称 次郎右衛門 異名
流派 小野派一刀流
名前 忠常 生没年 ?〜1665
概略 小野派一刀流の祖。
小野忠明の嫡男で、三代将軍家光の剣法指南を務めた。
上覧試合が決まると、怪我を避けるため当日まで稽古をやめたという。



か行



梶正直

かじまさなお
名字 幼名
通称 新右衛門 異名
流派 梶派一刀流
名前 正直 生没年 ?〜1681
概略 梶派一刀流の祖。三河松平氏を遠祖とする梶家の養子。
小野忠常に学び、同門中では並ぶ者のない腕だったという。徳川家綱、綱吉に仕えた。



鐘捲自斎

かねまきじさい
名字 鐘捲 幼名
通称 異名
自斎 流派 中条流(?)、富田流鐘捲流
名前 生没年 ?〜?
概略 鐘捲流の開祖。
中条流を学んだとも、富田流を学んだともいわれる。
高弟には伊藤一刀斎、佐々木小次郎がいたとされる。



上泉信綱

かみいずみのぶつな
名字 上泉 幼名
通称 伊勢守 異名
流派 陰流新陰流
名前 秀綱→信綱 生没年 1508〜1577?
概略 新陰流の開祖。上野(群馬県)の武将・上泉憲綱の子。
第十三代将軍・足利義輝をして「上泉兵法古今比類なし天下一」といわしめた。
稽古での怪我を避けるため、袋竹刀を発明した。
主家滅亡後、武田信玄に強く仕官を勧められるも固辞したという。



古藤田俊直

ことうだとしなお
名字 古藤田 幼名
通称 勘解由左衛門 異名
唯心 流派 一刀流唯心一刀流
名前 俊直 生没年 ?〜?
概略 相州北条家の家臣。
唯心一刀流の流祖とされるが、その名称を使ったのは三代目の俊定からという。



近藤勇

こんどういさみ
名字 宮川→島崎→近藤 幼名 勝五郎
通称 勝太→勇 異名
流派 天然理心流
名前 昌宜 生没年 1834〜1868
概略 天然理心流四代目宗家。新撰組局長。晩年は幕臣。



さ行



た行



千葉栄次郎

ちばえいじろう
名字 千葉 幼名
通称 栄次郎 異名 千葉の小天狗
流派 北辰一刀流
名前 成之 生没年 1833〜1862
概略 千葉周作の二男。
若くして北辰一刀流の奥義を極め、当代の名人と呼ばれる剣豪を相手に9割の勝率を誇った稀代の名剣士。
片手上段の構えを得意とした。
水戸藩に出仕し大番頭に昇進するも、30歳で没した。



千葉定吉

ちばさだきち
名字 千葉 幼名
通称 定吉 異名
流派 北辰一刀流
名前 生没年 1812?〜1879
概略 北辰一刀流の剣客で、千葉周作の弟。
青年期まで周作と行動を共にし、玄武館の創設と運営に協力。その後、桶町に道場を構えたため、「桶町千葉」と称された。伊東甲子太郎や坂本龍馬が入門したことでも有名。
剣の腕については、「兄にわずかに劣るだけ」と評されたという。



千葉周作

ちばしゅうさく
名字 千葉 幼名
通称 周作 異名
流派 中西派一刀流北辰一刀流
名前 生没年 1794〜1855
概略 北辰一刀流の創始者。



千葉道三郎

ちばみちさぶろう
名字 千葉 幼名
通称 道三郎 異名
流派 北辰一刀流
名前 光胤 生没年 1835〜1872
概略 千葉周作の三男。
長兄の奇蘇太郎は若くして亡くなり、次兄の栄次郎は父の存命中に別家となったため、北辰一刀流宗家を継承した。
性格は穏やかであったという。男振りも良く、二刀も使ったという。
38歳で死去。



中条長秀

ちゅうじょうながひで
名字 中条 幼名
通称 兵庫助 異名
流派 念流(?)、中条流
名前 長秀 生没年 ?〜1384
概略 中条流の創始者。念流を学んだともいわれるが、定かでない。



な行



根岸兎角

ねぎしとかく
名字 根岸 幼名
通称 異名
流派 一羽流微塵流
名前 生没年 ?〜?
概略 微塵流の開祖。
師岡一羽の弟子であったが、出奔し微塵流を掲げる。やがてかつての相弟子・岩間小熊の挑戦を受けるも、敗れた。



念阿弥慈音

ねんなみじおん
名字 相馬 幼名
通称 四郎 異名
流派 念流
名前 義元 生没年 1350?〜?
概略 念流の開祖。日本で最初の剣豪とされる。
奥州相馬(福島県)の領主・相馬忠重の子。
本名は相馬義元だが、仏門に入り念阿弥と称した。後に慈音と改名。慈恩とも。また、晩年には念大和尚と称した。
十四哲(坂東八士、京六士)と呼ばれる14人の高弟がいたという。



は行



樋口定次

ひぐちさだつぐ
名字 樋口 幼名
通称 異名
流派 念流馬庭念流
名前 定次 生没年
概略 戦国時代から江戸時代にかけての兵法家。馬庭念流の開祖。
樋口家伝の新刀流を修めたのち、念流の友松偽庵に弟子入りし、印可を授かる。
上野国の馬庭村で道場を開いた。



逸見小源太

へんみこげんた
名字 逸見 幼名
通称 小源太→太四郎 異名
流派 甲源一刀流
名前 長英 生没年 1818〜1881
概略 甲源一刀流五世。



堀部安兵衛

ほりべやすべえ
名字 堀部 幼名
通称 安兵衛 異名
流派 馬庭念流
名前 武庸 生没年 1670〜1703
概略 赤穂浪士四十七士のひとり。
直心影流(堀内流)の堀内源太左衛門の道場に入門し、「堀内道場の四天王」のひとりと呼ばれる。
赤穂浪士の中でも一番の剣客であったという。



本間仙五郎

ほんませんごろう
名字 本間 幼名
通称 仙五郎 異名
流派 馬庭念流本間念流
名前 生没年
概略 本間念流の開祖。
馬庭念流を学び、永代免許を授けられると、上野国に道場「練武館」を開いた。
もとは農民であったが、養蚕や金融業も行う豪農となった。



ま行



松本政信

まつもとまさのぶ
名字 松本 幼名
通称 異名
流派 鹿島神流
名前 守勝→政信→尚勝 生没年 1468〜1524
概略 鹿島神流の流祖。鹿島明神の神官。
吉川加賀入道(塚原卜伝の祖父)や飯篠長威斎から剣を学んだが、自身の剣法のほとんどは政信が考案したらしい。卜伝の極意「一の太刀」も、政信の編み出した剣とされる。



宮本武蔵

みやもとむさし
名字 宮本、新免 幼名 弁之助
通称 武蔵 異名
二天、二天道楽 流派 当理流円明流二天一流
名前 玄信(はるのぶ) 生没年 1584〜1645
概略



師岡一羽

もろおかいっぱ
名字 師岡 幼名
通称 平五郎 異名
一羽、一羽斎 流派 神道流新当流一羽流
名前 常成 生没年 1533〜1593
概略 一羽流の開祖。
父から神道流を学び、また塚原卜伝の直門であったという。



や行



柳生利厳

やぎゅうとしよし
名字 柳生 幼名
通称 兵庫助 異名
如雲斎 流派 柳生新陰流尾張柳生流
名前 利厳 生没年 1579〜1650
概略 尾張柳生流の流祖。
柳生石舟斎宗厳の長子・厳勝の次男。



柳生宗矩

やぎゅうむねのり
名字 柳生 幼名
通称 但馬守、又右衛門 異名
流派 柳生新陰流江戸柳生流
名前 宗頼→宗矩 生没年 1571〜1646
概略



柳生厳包

やぎゅうよしかね
名字 嶋→柳生 幼名 新六
通称 兵助→七郎兵衛 異名
連也斎 流派 尾張柳生流
名前 厳知→厳包 生没年 1625〜1694
概略 柳生利厳の三男。柳生家四世。



山岡鉄舟

やまおかてっしゅう
名字 山岡 幼名
通称 鉄太郎 異名
鉄舟、一楽斎 流派 北辰一刀流一刀正伝無刀流
名前 高歩 生没年 1836〜1888
概略 一刀正伝無刀流の開祖。幕末の政治家で、勝海舟・高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。



ら行



わ行